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MAGAZINE

ナオヤ・タカクワの日記〜2020.05.29-06.04


5月29日(金)

0時43分。ギターを弾きたいと思ったが、やめておくことにする。騒音は下の階に住む女性を怒らせる。トランペットを家で練習していた日に、死んだ鯨を見るような目で見られたのだ。また、ある時には深夜ギターを弾いていると隣の部屋に住む女性が壁を殴りつけてきた。それらの出来事は間接的に僕に痛みを与え、僕は痛みを通して学ぶ。夜には楽器を弾かないことだ。

それでも夜の楽器が気持ちいいことには変わりがない。特に、涼しい風の吹いている日。夜風が僕の指を操り、下のEから2オクターブ上のEまで滑らかに移動していく。音楽は移動する。時間は音楽を移動させる。音階の移動でメロディが生まれる。指や声帯の移動が空気を震わす。音楽は旅であり、人生そのものだ。

今日から家に帰ると妻がいる。ただいまと言うのは懐かしい。帰ったら夕食を用意してくれた。ウイスキー・ソーダを二人で飲んだ。二人で笑いあったり、少し機嫌を悪くしあったりした。イクラを食べた。昨日もイクラを食べた。イクラは二日連続で食べるような物ではないかもしれない。それは目の玉や、乳房や、睾丸に似ていた。それを噛むと、罪悪感が口いっぱいに広がった。プチ。以前、蜘蛛を指で潰した時に同じ感触がした。

これだからときどき、“いのち”が嫌になる。“いのち”は潰すと、プチと言うのだ。プチの後は何も言わなくなる。

昔、トカゲを飼っていた。正確には弟が飼っていたのだ。僕らは毎月一回、土曜日に祖母の家に泊まりにいくのが習慣だった。弟はトカゲを祖母の家に連れていくと言った。僕が膝の上にケージを乗せて、車の後部座席に乗り込んだ。ヒヤリとしたシートだった。真夏だった。僕は大事にケージを抱えていたが、信号のところで父は急ブレーキを踏んだ。プチ。彼は飾りのための石に敷かれて動かなくなってしまったのだ。

昔、シマリスと猫を飼っていた。シマリスが先にいて、猫は後から来た。この組み合わせに僕はヒヤリとしたし、弟に忠告した。ある日、シマリスに餌を与えようとした隙に彼はケージから飛び出してしまった。彼はカーテンレールの上を走り回っていたりした。途中で、DNAに刻み込まれた狩りのやり方を思い出した猫は彼を噛んだ。プチ。その後、彼はほとんど動けなくなってしまった。一ヶ月ほど、栄養剤を与えてみたが、その後死んでしまった。

弟と喧嘩したときも“プチ”が鳴ったし、母親にひどい言葉を言ってしまったときも“プチ”が鳴った。

梱包材の空気を潰す時の、“プチ”は擬似的な殺害である。代理戦争であり、欲求の解消である。僕はこれまでの“プチ”をした自分を断罪するためにアマゾンで梱包材を5箱買い、プチ攻めを自身に課している。一日100プチは欠かさない。それはサディズム的行いであり、マゾヒズム的行いである。プチ。空気の塊は空中に放出され、部屋の空気と混ざり、見分けがつかなくなった。

僕は考える。死とはこのような物だと。


5月30日(土)

服や靴を買いたい欲望が高まっている。僕のファッション・リーダー、ウディ・アレンを目指して、服を揃えようとしている。ラルフローレンのシャツ。ツイードのジャケット。ツープリーツのチノ。オックスフォードシューズ。それらを買い集め、似非ウディ・アレンになった僕は、ブツブツと空中にむかって誰にも通じないジョークを連発しながら茶沢通りをぶらつくだろう。それを見て恐れおののく人たちを隠しカメラで撮影し、コピー&ペーストして2020年のための映画を作るのだ。

そういえば、コピー&ペーストって現代の芸術、美術において重要な位置付けである。コピー&ペーストが生まれる以前と以後で明らかな芸術様式の違いが見られることは間違いない。コンピュータによってその作業が簡易化されたことが一つのターニング・ポイントであり、それが当たり前になりすぎた現代で、コピーとペーストはパンにジャムを塗るくらいの日常だ。

音楽においては言わずもがなヒップホップ。というより、ヒップホップの様式や作曲方法は今最もメジャーになっており、打ち込みをデモ作りの段階から一切使わずに作られたポップソングの方が少ないだろう。

美術においては、どこかから引っ張ってきた写真や絵をその他のそれらと合成させることでひとつのイメージを作ることができる。映画においては、もともとカット&ペーストを繰り返すものだ。

コピペ以降の芸術は「人工物である」感触が明らかに増えていて、それは少しの憂鬱と少しの頭痛と少しの高揚感をもたらす。それらはレッドブルを飲んだ時の感覚に似ている。だけど元々、芸術は人工物でしかない。我々が人工甘味料や化学調味料と呼ぶが、砂糖や米の精製も、酒の醸造も、野菜や肉を煮たり焼いたりすることさえ「人工」なのだ。

それでも我々はあまりに遠い事物同士を比較することで、一方が自然物で、一方が人工物だと信じ込んでしまう。それは、火星と太陽を比較することで、火星になら住むことができると錯覚することに等しい。そして、その勘違いから、僕らは火星に住んだり、人工物を自然物だと思ったりするのだ。そして火星人と握手することすら思い浮かべる。僕らは人工的に作った畑で人工的に育てた野菜たちと、無農薬であるがゆえに握手をする。僕らの手は農薬にまみれることはないし、土が手につくと少し嬉しくなる。


5月31日(日)

日曜日は晴れると素晴らしい。しかし雨が突然降ってきて、びっくりさせられた。バタ・バタ・バタと降ってきた。僕はバタ・バタ・バタと言いながら、フライパンで卵を焼いたり、掃除をしたりした。時間は刻一刻と過ぎていく。日曜日に日が落ちる瞬間が、最も美しく、最も悲しい。その瞬間がサザエさんの放送とともに訪れることを、僕は幼いころからの刷り込みで体で覚えてしまっている。

日の入りを遅らせるために、僕と妻はワインを飲むことにした。オイルサーディンの缶をそのために買ってきた。掃除用のバケツに氷と水を入れ、塩をひとかたまり入れて瓶を冷やした。キリッとしてくる。キリッとした後、フワッとさせる。僕は日の落ちる憂鬱の瞬間をアルコールによって弱めることができる。

夕日が落ちたのを知らずに済んだ。その代わりに大いなる眠気がやってきた。眠ると、月曜日がやってくる。僕は今度は眠るのを遅らせるためにこの文章を書いている。


6月1日(月)

素晴らしい赤ワインを飲んだ。素晴らしいシードルを飲んだ。それで十分じゃないか。

それらは素晴らしい前口上とともにサーブされ、僕はバックハンド・ストロークでそれを打ち返した。僕の打った球はネットの際にあたりポトンと落ちた。越えられない壁がある。そして今度は僕もサーブする。

太宰はコミカルで面白い。彼はコメディアンになったらよかった。

僕もコメディアンになったらよかった。そしたらきっと楽しくて悲しくて泣きながら笑う。

雨は全てを洗い流した。そして、生乾きの匂いを残した。僕はその匂いの元を洗濯機にぶち込む。

手洗いをして、うがいをして、洗顔をして、生乾きの匂いを手や顔に染みつかせた。お気に入りのオーデコロン。夜は短くなる。憂いは闇に溶けるが、夜はもう全ての憂いを飲み込まない。

タクシーから降りてきた初老の男性がおぼつかない足取りで、ファミマでワンカップを数カップ買う。僕らはそれを眺めていて、レジ向こうのギャルと対峙するのを見届けた。

数分して彼がファミマから出てきた。すぐにタクシーの後部座席に横になった。おやすみ。それは夕方5時頃の話。こっちはもう深夜の1時半だ。おやすみ。


6月4日(木)

カティサークをソーダ割りにすることにより、叡智を得ることに成功した僕は、このところサボりにサボっていた日記をまとめて一気に仕上げることにする。疲弊や多忙や狼狽を言い訳にして、この三日というもの堕落した夜を過ごしてきた――そう、夜。この冷たくて暑くて美しい夜は、眠る為ではなく活動する為のものである。睡眠を貪ることは堕落に等しい。すべての夜は眠り以外のために存在する。酒を飲んだら夜がようやく始まる。

① 6月2日、火曜日について。
宇宙ビールを飲みながら子羊の肩肉を焼いた日だった。子羊の肩肉は分厚く見えたため、慎重に焼いていった。片面に塩とコショウを振り、まずはその面から。裏返すと、蓋をして少し待つ。その後、アルミホイルに包んでおいた。

アルミホイルを忘れると、ディナーが台無しだ。

皿に盛り付けて、切ってみると断面は焼け過ぎていた。僕はミディアム・レアぐらいで食べたかったのだ。しかし、口に入れるととてもうまかった。

宇宙ビールは奴らを流しこんでいった。夜は老け込んでいった。明日は仕事が休みだった。僕の腹は肉やビールを存分に受けいれることができた。だから休みの日は素晴らしいのだ。いや、休みの日の前日の夜が素晴らしいのかもしれない。

② 6月3日、水曜日について。
この日は仕事が休みだった。なんだか外に出る気になれなかった。また、例の伝染病の感染者が昨日から増えはじめていたからだ。それでも僕は外に出た。30分ほど歩いて公園へいった。素晴らしい公園だった。美しい鳥がいた。美しい老人や醜いカップルもいた。賢そうな子供もいた。

僕は木の陰にはいり、ソプラノ・サックスを吹きはじめた。音量はなかなか大きかった。誰も気にしていなかった。少しは気にしてほしかったのだ。羽の生えた蟻すらも気にしていなかった。彼は何かを勘違いしていて、僕のソプラノのFのキイの上で顔の掃除をしていた。前脚を舐めては、顔をぬぐっていて、少し猫のようだった。何度か、口をすぼめて吹くと飛んでいった。

帰ったら、手持ちの半袖のシャツを全部洗濯機に入れた。彼らが乾くと、丁寧にアイロンをかけてみた。一枚はしわひとつなくなった。三枚はほどほどにしわがとれた。あとの一枚はどれだけやっても老婆の額に染み付いた皺のように、決して落ちることのないシワを持っていた。

深夜に妻から電話があった。返事をしてから切った。眠るまでに時間がかかった。

③ 6月4日、木曜日。
今日のことだ。朝、起きるのは人生で一番難しいことだ。なんなく起きられるようになれば、他の何もかもが苦なくできる気がする。9時半に起きようと思ったが、10時半になった。歯を磨いて、シャワーを浴びて、朝食を食べていると遅刻しそうになった。遅刻はしなかった。

ランチに、僕は気がぬけていたのだ。カツカレーの弁当を買ったが、間違えて割り箸をもらってきてしまった。割り箸でカツカレーを食べるのはなかなか難しい。しかし、なんとかうまくやった。なかなか、僕にはものを食べる才能があると思う。それを見くびられては困る。全部のカレーソースを綺麗に、箸で胃袋に放り込んだ。

朝の電車で太宰を読んだ。太宰ははじめて読んだ。なかなか面白かった。数年前の僕であれば、太宰に同化したかもしれない。数年後の僕だったので、同化しなかった。同化していたら、僕は箸でカツカレーを食べたりできなかっただろう。そして、こうして文章を書くこともしなかっただろう。だが、カティサークは飲めたはずだ。カティサークよりホワイトホースの方がうまい気がする。カティサークの方が高いのに。


続く

前回までの日記


執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

©de.te.ri.o.ra.tion