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MAGAZINE

ナオヤ・タカクワの日記         2020.06.05-06.11


6月5日(金)

昼に、買ってきた“かつ丼”を食べながら、フロイトを読んでいた。文化と制限と欲望について書いてあった。つまり、文化を維持するためには、欲望を制限する必要があるということだ(フロイトの言葉で言うと“欲動”となるが、ここではわかりやすく欲望と呼ぶことにする)。

我々は自分たちに対して制限を増やしてきたように思える。それは欲望を減少させることだ。欲望を減少させるためには教育が必要である。それらが文化を発展させるために必須の事柄であるのだ。

我々は人種差別をさせないための制限に取りかかっている。男尊女卑をしないための制限に取りかかっている。ジャンクフードを食べないための制限に取りかかっている。たしかにこれらは、今後の文化の発展のために必要なことに思える。我々はこれらの制限とともに絵画や音楽や宇宙開発を進めていくのだ。

我々は自己破壊をやめなければならない。けれども自己破壊は根源的な欲望であるのだ。そのために僕らは自然を破壊し都市を作ってきたし、女性を差別したり、他人種を差別したりしてきた。ジャンクフードを食べて身体を破壊する快楽を得てきた。

我々は誰もが人種を持っているし、性別を持っているし、身体を持っているし、地球に生まれている。我々は他人種を差別することで、自分の人種でいることのアイデンティティや誇りを維持することができる。他の性別を差別することで、自分の性別を肯定できる。身体を破壊することで精神に美を見出す。地球を破壊することで、他の生き物とは違うのだと言う優越感を持つ。

それらはみな、皮肉にも自らのアイデンティティに対する破壊行動にもなっている。男性は女性なしには存在できないし、精神は肉体なしには存在できない。他人種なしには、自分の人種は存在しえないし、地球なしには生きながらえない。

かつ丼は冷める前に食べきることに成功した。


6月6日(土)

土曜日だが仕事がある。同僚に楽器をやっている指だと言い当てられた。僕はギターとサックスをやっていると言った。

僕の手は少し汚い。切られすぎた爪の先端により指先の肉は圧迫されている。煙草の吸いすぎで右手の人差し指の爪は変色している。右手の中指にはペンだこができている。このペンだこは小学生のときに算数ドリルと漢字ドリルのやりすぎでできたもので、それは今になっても消えない。

何しろ、昼休みに校庭で漢字ドリルを解くのが趣味だったのだ。そして生命線は異様に長い。漢字ドリルを解く快感はゲームボーイで遊ぶ快感に似ていながら、それよりも圧倒的に大きな興奮を得られた。

漢字の持つ幾何学的な構造は曼荼羅に似ているのだ。

そして計算ドリルの数列はピタリと答えが決まっている。7+2=9と書かれているとあまりに美しくて、身悶えしながら叫んでしまっていた。しかも7+2=□の四角形の中を自分の書いた“9”で埋めることは最後のパズルのピースをはめ込む快感である。思い出すだけで僕はパブロフの犬のように涎を垂らしながら地面に突っ伏して痙攣をしてしまう。

それが僕の初恋であり、原体験であり、ルーツだ。それは7歳だったし、それから20年が経った。いまだに漢字ドリルと計算ドリルを超える体験には出会っていない。何しろ、xやyが数式に現れはじめると、解を出すための数式が長くなり、美しくないのだ。その点計算ドリルは素晴らしい。例えば、下記のように問いが並ぶ。

7+2=□
3+4=□
9+1=□
2+5=□
2+1=□

僕はそれらを次のように問いていく。

7+2=9
3+4=7
9+1=10
2+5=7
2+1=3

我々はその気になればこれらの数字を全部足したり、全部かけたりすることすら可能だ。「9+7+10+7+3」を解いたり、「7×3×9×2×2」を解いたりもできる。

xとyが出てくると、それができない。想像力が足りないのかもしれない。

夜、電車に乗りながら、菊地成孔のグループを聴いた。音量を上げると、良かった。隣に座っている女が怪訝そうな顔をしてきたので、途中で音量を下げた。楽器の音量は僕の指に支配されていた。僕は指揮者になった気分でスマートフォンの音量ボタンを弄る。プラス、マイナス、プラス、プラス、マイナス、マイナス、マイナス、マイナス、プラス。僕はオーケストラの音量だけは自由に操ることができる。

ところでディスクジョッキーたちは音楽のBPMを自由に操ることができる。音楽の構造や音程すらも支配できる。ディスクジョッキーたちがオーケストラの指揮者だと気づくのにこれほど時間がかかったことにうんざりだ。僕は毎朝8時にラジオのディスクジョッキーをやりたい。そして、街中で流れる音楽は信号を赤から青にしたり、横断歩道をエスカレーターにしたり、水をワインに変えたりするだろう。

妻が小瓶の素晴らしいウイスキーを買ってきた。それに合うように、ホタテとズッキーニのウイスキー蒸しも作ってくれた。僕らはそれを食べながら、深夜の0時を過ぎるまで語りあった。一緒に煙草を吸った。


6月7日(日)

海辺に遊びに行った。友人がトランペットを吹き、僕はサックスを吹いた。あまりいい音が出ない。

海辺にリコーダーを持ってきた男がいた。僕と友人はその男を観察した。男はリコーダーを吹かずに、V6の『WAになって踊ろう』を全力で歌っていた。

我々は白ワインとマグロの中とろの寿司を買い、次々とマグロの寿司をワインで胃に流し込んで行った。我々の胃はブラックホールだった。そのあと、赤ワインを飲みながらステーキを焼いた。ステーキも、赤ワインで、胃の底深くまで流されていった。波の音が聞こえた。


6月8日(月)

帰ったらギターを練習したいのに時間がない。時間がないと、練習ができないし、曲を作ることもできないし、映画を見たり、小説を読んだりもできない。そして僕はギターをどんどん弾けなくなっていく。音楽はそこかしこにある。エレベーターがやってくる時の音が僕は好きだ。チン、と小気味の良い音を立てる。僕はその1.5秒後に、エレベーターの中に陣取ることができる。エレベーターの本当の機能を多くの人々はまだ知らない。

僕の目の前には1から15までの数字が並んでいて、大抵10を押したり、11を押したりする。10を押すと10階に運ばれるし、11を押すと11階に運ばれる。その逆はあり得ないのだ。僕は10階に着くと、1を押す。僕は10階に自分の体を置いておいて、1階に自分の魂を運ぶのだ。

10階の僕は何事もなかったかのように仕事に戻る。同僚に笑顔を振りまくことも忘れない。挨拶は普段より元気がいい。芯が通っているのだ。仕事で、ミスはない。心がなければミスをすることはないのだ。より効率的になれるし、頭の中はクリーンなままだ。身体は疲れても、眠れば元に戻る。

僕の魂は映画館に行って2、3本の映画を観る。アサヒスーパードライを飲みながら観ることにする。そのあと、河原で石を投げる。石は45個から79個ほど投げる必要がある。そして、水中に潜って、石の上で小説や詩を読むのだ。今日はマルクスを読んだ。

僕の身体が仕事を終えて、エレベーターで1階に降りると僕の魂が待っている。ただいま、おかえり、と互いに言い合って僕らは帰ることにするのだ。家に帰ったら、また、ただいま、おかえり、と言い合うのだ。結局はただいまとおかえりの繰り返しなのだ。


6月9日(火)

久しぶりにショート座禅を10分組んでから、この文章を書いている。日々は何事もなく過ぎていくように思える。日常は内部と外部で起こっている。外部では僕の足は歩いたり、座ったり、立ったりしている。誰かに話しかけたり、誰かを眺めていたり、口をつぐんでいたりしている。内部では荒れた波の上にボートを浮かべて左右へグラグラと揺れている。僕のボートのエンジンの調子は万端だ。だが、誰かのボートが転覆しかかっているのが見えたりする。他のボートに手を差し伸べようにも、手の届かないところにいたりする。僕の目にはそのボートの内部が見えない。もしかしたら、船内は安全に守られているかもしれないし、すでに中身は水浸しで、息もできない状態になっているかもしれない。それらを想像したり、望遠鏡で覗き込んだり、拡声器を使って呼びかけたりするのがコミュニケーションだ。

僕は今日はボートの中で湯を沸かし、プラスチックの容器に入った乾麺に湯を注いで、三分経ったら、湯を捨てて中身を食べた。雲はそれほど多くない、いい陽気だった。床の木材を磨いたりして一日を過ごした。何しろ狭い船内だ。暇つぶしの道具もろくにない。日が昇るのを見て、日が沈むのを見た。それを三回ほど繰り返した。僕はCDプレーヤーを自宅から持ってきていなかったことを悔やんだ。

音楽が恋しい。生活に音楽を。BGMではない音楽を。音楽のための音楽を。それだけが喜びであり、それだけが生きがいである者のための音楽を。音楽は空気で、空気は窒素と酸素と二酸化炭素だ。僕はその内の窒素だけを吸って生きている。僕らに酸素を。

また、意味もなく練習スタジオに入って、演奏をしたいのだ。意味もなく、ステージに座り込み、演奏をしたいのだ。二人で、もしくは三人で、もしくは四人で。


6月10日(水)

まあ。はっきり言って、毎日文章を書くというのは重労働だ。自分のことを書くのはことさらだ。これまで、なんとか平気なふりを装ってきた。それも、そろそろ限界だ。座禅を組んだり、楽器を弾く時間が削られてしまう。昨日書いたショート座禅なんて、たまったものじゃなかった。かえって頭の中が混雑した。「もう少し座らせてくれ」彼はそう言ったが、僕はこう言った。「もう寝る時間だよ、おやすみ」

座禅バッド・トリップが発生し、それを終えたあと、この世界の全ての情報が僕の中にばらばらに潜り込んできた。換気扇の回る音とボディローションのアルコール臭と明日の仕事のこととこれからの50年のことと蛍光灯の明かりと窓の外でバイクのエンジンが蒸される音。

次の日、やつれた顔で仕事に行くと髪を切ったかと訊かれた。少し禿げてきただけさ、と僕は答えた。父親の遺伝なのだ。血の繋がっていない祖父も薄毛だった。血の繋がっていない祖父と僕とは血とは別の何かで繋がっていた。祖父の薄毛はなかなか良かったなあ。父のはそうでもない。ごめん、父さん。でも薄毛は悪くないと思う。村上春樹を読んでいたら、薄毛フェチの若い女が出てきたからだ。だいたい、かっこいい大人っていうものは禿げているものだ。ブルース・ウィリスがトラックを爆発させるたびに、それを思い知るのだ。そしてビル・マーレイが女を落とすのに失敗するたびに。毛根が残っていながらトラックを爆発なんてさせられるかい?

と、これは嘘で、まだ僕には薄毛の遺伝子は大きく干渉してきていない。ただそこには怪奇現象としての「髪切った?」が存在し、妖怪髪食べが僕の髪を一時的に食べているに過ぎない。妖怪髪食べは次の日までは干渉してこないため、1日だけ、「髪切った?」の日が亡霊のように存在するだけだ。妖怪たちは湿気を好む。夏だね。湿気が多くなり始めた。君も、僕の髪の毛も絶好調さ。さあ、好きなだけ食べてくれ。

だから湿気の多い夏場に怪談は話されるのさ。知ってた?

文章を書けば書くほどに嘘が産まれる。嘘をつくことが罪ならば、僕はとっくに地獄行きさ。うん、日記を書くのが限界だっていうのも嘘さ。だって全部これからじゃないか。さあ、船をこぎ出そう。ヨーソロー。


6月11日(木)

足の筋肉が張っていて、深夜に足がつり飛び起きる。一週間これが続き、足がつることは僕の日常の一部になった。おかげで、眠り過ぎずに済むよ。サンキュー。そのせいで今日はたっぷりと夕方から眠ってしまった。赤ワインを喉に流し込んだあと、抗うことのできない眠気が大きな口を開けて襲ってきた。少し横になってしまうことにした。

午後9時に目を覚ますと、妻が朝食を用意していた。午後9時に朝食を食べるのは初めてだ。腹がとてつもなく減っていた。あまりの空腹に、皿に盛られたネギと椎茸のグリル、大根とツナのサラダを一口で食べてしまった。サンキュー。

実に色々な物事に取り囲まれ、様々な問題が我々に圧力をかけてくるが、僕はただワインを飲んでしまって寝てしまうだけだ。それが幸福なのか不幸なのかはわからない。来月の家賃や市税の支払いと人種差別問題と都知事選と東京アラートとイーロン・マスクのロケット打ち上げとが一挙に襲ってくる。そして、足のふくらはぎの不調も。

やれやれ。一周回って何に対しても興味がない。それは嘘だ。だけどそういうことにしておく。一つ言えることは、僕は意見を表明することより、学ぶことの方が圧倒的に重要だと思っているということだ。学ぶことも大事だが教えることも大事だ。そのため僕は意見を公に出すことはあまりしないでいた。いや、それでも意見を表明することも重要だろう。しかし、「ブラックライヴズマターに賛同する」ってそりゃなんだ、としか思えない。それでもなんとか、この場を借りて、意見を箇条書きにしてみる。

アフリカンアメリカンを黒人と呼ぶことに反対。日本人を日本人と呼ぶことにも反対。人種差別に反対。血液型占いは好きだが反対。安倍政権に反対。安倍を眺める楽しさを享受することには賛成。小池百合子がカイロ大学を卒業していようがいまいがどうでもいい。ロケット打ち上げは楽しいけど反対。ロケット打ち上げをやろうとする意思には賛成。家賃の支払いには賛成。そして僕のふくらはぎに対しては大量に文句を言いたい。

そして、教育とは、嘘を教えることである。それはわかっておいてほしい。それでも僕は教育に賛成。つまり嘘に賛成。嘘とは真実の一部である。だから真実にも賛成。


続く

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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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