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ナオヤ・タカクワの日記〜2020.07.03-07.09


7月3日(金)

金曜の夜には酒を飲む。ごくごく飲む。明日が仕事だって構わない。土曜日は土曜日だ。

尻もちをついて上を見上げると完全なブルーの空が見える。僕の体の上を黒猫が跨いで行く。しばし視界は黒くなる。やがてまた青くなる。

自分の誕生日で運勢が占えるという。僕の誕生日はル・コルビュジエと同日だった。西川ヘレンとも同日だった。僕にはル・コルビュジエと西川ヘレンが同じ運命を辿ったとはとても思えない。それなら西川きよしと西川ヘレンの方がまだ同じ運命を辿ったと言えるだろう。

それでも僕はル・コルビュジエに同調し、椅子職人になろうと思った。実のところ西川きよしの嫁にもなりたかったが、それは難しいように思えた。こう見えて僕はリアリストだ。リアリズムとロマンティシズムは必ずしも反発しない。時には手を繋いで協力し合っている。

僕は初めて人生の計画を立て始めた。まずは椅子のデザインを家具メーカーに売りに行く。やがて自分の工場を手に入れる。たくさんの赤い顔をした人たちがその工場では働く。僕は一つ一つの赤い顔全てに「やあ、こんちは」「どうも」といって歩く。100人ぐらいは従業員がいるのだ。「今日もよくやってるね」「昨日の晩飯はなんだった?」顔色を伺いながら、いろんな言葉をかける。彼らは喜びに満ちていた。僕は満足げだった。

そのうち、60半ばになって初めて僕はビルの建築デザインをする。工場の従業員にもデザインを学ばせたのだ。彼らは頼もしい助手になってくれた。やがてビルが建つ。ビルは太陽の光を遮る。僕の視界はまた黒くなる。


7月4日(土)

新しい電球を点けて僕らはスパークリングのワインを飲むことにした。

新しい電球は僕らの目にある種の錯覚を起こさせた。目眩、恍惚、幻覚、それはアルコールのせいかもしれない。だがやはり電球のせいだ。


7月5日(日)

日曜日。ウディ・アレンの新作を観に行った。新作といっても随分前に撮られたものだ。彼のスキャンダルの影響で、公開が遅れたのだ。

映画館は、コロナ禍の影響で席が一つおきにしか取れないようになっていた。それでもカップルたちは隣の席に詰めて座っていた。僕らも同じようにした。誰にもばれまい(これは秘密だ)

久しぶりの映画館は心地いい。僕らはポップコーンを大いに食べ、ペプシコーラを大いに飲んだ。映画館にはコカ・コーラよりペプシが似合う。なぜかと聞かれてもわからない。おそらく、映画館とペプシ社が協定を結んでおり映画館用の塩梅に計算されたペプシ原液が使われているに違いない。映画館で働いていたことのある僕が言うのだから間違いない(なんてことを書けるのだから専門家の話すことを簡単に信用しちゃいけない)

映画は、氷で薄まったペプシぐらい薄くて、僕たちにはちょうど良かった。ぬるいシャワーが一番気持ちいい日だってあるのだ。

僕らはセレーナ・ゴメスのとんでもない演技力のまずさに泣いた。この子、僕と同い年だ。エル・ファニングは頑張っていた。ティモシー・シャラメはなんだか抜けていた。

ウディ・アレンももう84歳だ。最後にもう一つスパイシーな映画を作ってくれたら泣ける。あと、もう一つ。前作は観覧車、今作では6時の鐘を鳴らす時計の周りを回る猿たち。アレン自身も自分が同じところをぐるぐる回ってきたと思っているのかもしれない。あるいは来世のことを考え始めているのかもしれない。あるいは地球が死んだ後に、またビッグバンが起こり新たな世界が誕生することを夢見ているのかもしれない。


7月6日(月)

白のシャツを以前買った。LサイズとXLサイズだ。僕はもともとMサイズの白のシャツを持っている。どうしてこんなことをしたのかはよくわからない。ただ、そうしたかっただけだ。

今日はLサイズのシャツを試してみた。LサイズのシャツはMサイズのシャツより少し大きかったが、XLサイズのシャツよりは少し小さかった。Mサイズのシャツに慣れている僕の体は少し違和感を感じているようだった。

職場では僕はMサイズのシャツを着ているかのように振る舞ったため、誰も着ているのがLサイズのシャツだとは気づかなかった。おそらく予想もしなかっただろう。それでも僕にはLサイズのシャツを着てみる必要性があったのだ。

僕は新たな知覚を得た。それはLサイズのシャツでないと得られないものだった。周囲の空気が暑くなると腕まくりをした。腕まくりをしたシャツは尚更Mサイズのシャツにそっくりになった。それらは双子のようだったが明らかに双子とは違っていた。それでいて兄弟や姉妹とも違っていた。

サイズ感の違う別の宇宙から来たドッペルゲンガーのようだった。


7月7日(火)

僕はこの日何をしていたか思い出せないのだ。本当に。

雨が降っていた気がする。最近は雨ばかりだ。憂鬱な気分は明日に流れ込む。


7月8日(水)

雨なので、コインランドリーに洗濯物を出しに行った。洗濯と乾燥をそれぞれやると、600円で済む。だが、洗濯と乾燥をいっぺんにやるコースは1000円だった。

僕はなけなしの1000円を洗濯機に突っ込んで洗濯物をぶち込んだ。1000円のコースにはもう一つ欠点がある。洗濯と乾燥の間に洗濯ネットを外すことができないのだ。僕はシャツもズボンも全部洗濯ネットから出して、洗濯機にぶち込んだ。ついでに洗濯ネットも一緒にぶち込んだ。そのあと、妻に時間ができたからお茶でもしようと言った。

我々は何ヶ月ぶりかのファミリーレストランに行った。割に混んでいた。店員は思ったよりは愛想が良かった。ファミレスではしばしばとんでもない店員に当たる。そんな時は店員の顔をジロジロ見てやるのだ。大体それでうまくいく。

僕は鶏を和風に煮たか焼いたかしたものを定食で頼んだ。ついでにドリンクバーも頼んだ。妻はドリンクバーを頼んだ。ドリンクバーはコップが毎度入れ替え制になっていた。例の感染症に対する対策のためだ。僕はコーラを1杯飲み終えると、次のコップに新しいコーラを注いだ。一番目のコップには溶けた氷がわずかなコーラと混ざって、琥珀色の液体が飲み残しのように溜まった。新しいコーラは大して飲む気が起きなかった。妻は最初に「ゲイシャ」という名のコーヒーを注いだ。二番目のカップにはカフェインレスのコーヒーを注いだ。

窓の外は少し雨が降っていて良かった。良かった、という言葉を使うのは文章に対しての冒涜である。でも、雨の合間に陽の光が差し込み、天使が空にのぼる予感がした、とか書いても嘘なのか。良かった、というしかないことにはこの世界にはたくさん存在する。そのあと『新・ゴジラ』を観た。良かった。


7月9日(木)

沢山のことが起こったが、雨が洗い流したせいでほとんど何も残らなかった。残ったのはワインを飲み終えたあとの少し赤みがかったグラスと、携帯電話の振動音。それはブブッ、と鳴る。まるで何かのクイズに間違えた時のように。ブブッ・ブブッ・ブブッと調子のいい時は連続で鳴る。ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッと鳴る時もある。その時は僕は少し体をのけぞらせてしまう。スズメの轢かれた死骸が車道に落っこちているのを見つけたみたいに。何もかも否定された気分になる。だけど、間違いは実は否定ではない。間違いを間違いと気づかせてくれるのが、ブブッやブーッなのだ。

僕は何かを間違っていた。もしかしたらここに生まれてきたこと自体が?僕は以前母親に、自分が生まれてきたのは何かの間違いだったのだと訴えたことがある。そんなことはないと彼女は言った。でもやはりそうなのだと僕は言った。

結局、何が正しくて、何が間違っているのか決めるのは誰なのかという問題がある。神かもしれないし、法律かもしれないし、自分自身かもしれないし、近所の怒りっぽいオヤジかもしれない。その答えは存在しない。なぜなら答えられる人物が存在しないからだ。我々はまず、何が正しくて何が間違っているのかを判断するのは誰かということを判断しなければいけないのだ。それを選べるのは自分自身だけだということは分かっている。だけど分かっているだけじゃ何にもなりはしないのだ。

僕自身の存在が間違いなのだとしたら、その僕が選ぶ神も間違いなのであり、その神が僕のことを間違いだと言ったのなら、結局僕は間違いじゃないのだ。

これこそがこの世界の最大の真理であり、最大の罪である。キリスト教も仏教もアイロンの掛け方も全て正しいことはないというのが結論だ。そして結論はあらゆる正しさも間違いも含みはしないのだ。正しいことがなければ間違いも存在しないからだ。簡単に言うと、我々はとんでもなく不確実な世界に生まれてしまっているということ。


続く

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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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