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ナオヤ・タカクワの日記〜2020.08.14-08.20


8月14日(金)

部屋に帰ろうとすると、階段に二匹の蝉が居た。僕が階段を上がろうとすると彼らは凄まじい音を立てながら暴れまわった。どうしてここ以外のどこかへ行ってくれないのだろう、と僕は思った。僕は心底動揺していた。階段を降りて、我々のアパートメントを囲う塀の外に出た。心臓の鼓動の動きを少しでも遅くさせるために煙草を一本吸った。それに、煙草を吸っている間に彼らは居なくなるかもしれないと思ったのだ。

吸い終わってからもう一度階段を上がった。今回はとても慎重に上がった。階段へ向かう途中も周りに蝉がいないかどうか注意深く観察しながら進んだ。監視センサーの網目をくぐり抜けるスパイの気分で、僕は前に進んだ。階段を除くとやはり蝉が居た。その二匹は最初に見た時より少しばかり移動していた。それでも部屋への進路を妨害するには十分な場所に居た。そして僕はコンビニエンス・ストアへ行こうと思った。

家から一番近いコンビニエンス・ストアへは歩いて7分程かかる。玉のような汗を両腕に抱えながら、店にたどり着いた。雑誌売り場を通りすぎて、酒売り場へ向かった。物色する振りをしながら少し時間を潰した。そもそも必要なものなどなかったのだ。煙草を買おうか迷ったが、まだ十分な量があった。カフェ・ラッテを買い、7分かけて家へ戻った。帰り際に何人かの人々と何度かすれ違った。彼らの視線は、何か僕を詮索しているような感じがした。少し不審な感じがしたのかもしれない。実際、僕は暑さと緊張で汗に塗れていたし、視点も一箇所に定まっていなかったのだ。

再度、階段の下まで来た。二匹の奴らはまだ居た。馬鹿らしくなって、そのまま階段を上がった。ゆっくりと歩いたので、途中まで彼らは僕に気づかなかった。或いは気づいていたけれど、気づいていない振りをしていたのかもしれない。ドアを開けた瞬間、彼らは暴れ出した。僕は体感で30センチメートル程ジャンプして部屋の中に滑り込んだ。あと0.5秒遅かったら彼らは部屋の中に入ってきていたかもしれない。すぐにドアに鍵をかけた。これで今日はたっぷり眠れる。すぐに煙草に火をつけた。これは一種の儀式なのだ。


8月15日(土)

ヨガをやった。ヨガは中々いい。アルコールよりもいいかもしれない。「いい」っていうのはなんだかわからない。「悪い」の反対だという人もいるが、僕はそうは思わない。

布団やら、シーツやら、マットレス・カバーやらを全部洗濯して乾燥機にかけた。ダニがひどいのだ。これで全部死んでくれるといい。


8月16日(日)

ダニたちは死ななかった。我々は害虫駆除のスプレーをインターネットで注文した。午前中に届いて、部屋の全部にスプレーした。これで少し良くなるといい。

シェイク・シャックを食べた。パティはダブルだ。ハンバーガーはこれでなきゃいけない。ダブルにできるときにはダブルにするのだ。ダブルにする分の金が足りないなら銀行に行けばいい。

ドラッグストアでカロリーメイトを10箱買った。何故ドラッグストアでカロリーメイトが安く買えるのかわからない。とにかくこれで十日分の食料には困らない。ハッピー・ドラッグストア。


8月17日(月)

家に帰るとラム肉が調理されていた。ワインもあった。我々はそれらを飲み食いした。ベッドの中に持ち込んで、TVを見ながら食べようと思った。部屋にはTVが無かったので我々は向かいの柱の一点を見ながら食べた。TVを見ながら食べるよりクールだと思った。

柱には様々な模様があった。柱は茶色だったが、木目はダークブラウンの色に浮き出て見えた。ピエロが鼻の上で火かき棒を使ってジャグリングしている。その真下ではイルカが三匹、それぞれの尻を追いかけている。名札のついたジャケットを着たボーイが、お辞儀をして僕らの向こう側にいる誰かに向かって微笑みかけている。

僕がそれを見て笑っていると、おかしいんじゃないの?という目で隣人から見られた。僕はそれでも構わないと思ったが、威厳を保つために煙草をふかして、わかっているような顔をした。人間は、煙草をふかしてわかっているような顔をすると、威厳があるように見えるらしい。僕はそれを十九歳の時に学んだ。僕の父親は威厳が無かったけれど、煙草をふかしている時に、わかっているような顔をしなかったからだと思う。

窓を開けると、僕らの煙は何処かに消えていった。煙があると物が見えづらくなる。僕らは何かを見る必要など無かった。それでも窓を開けたのは、好奇心のせいかもしれないし、目がしばしばしてきたからかもしれないし、あまりに月が美しかったからかもしれない。


8月18日(火)

暑い日。トニック・ウォーターを買ってきた。ウォッカと混ぜてみたが大したものはできなかった。かつ丼を食べた。かつ丼は夜のスーパー・マーケットで298円だ。バッグを持ってくるのを忘れたので、プラスチックの袋を3円で買った。袋を買うために、ごめんなさいと言った。プラスチックの袋を買うことが罪である時代に突入したのだ。少なくとも、我々がそれを罪だと思わされる時代に。我々はプラスチックの袋を買う代わりに別のプラスチックの袋を持って買い物に出かける。3円の袋を買う代わりに1500円の袋を持っていく。1500円で罪を避けられるなら、それはいい買い物だ。

僕は一日に平均3本の500ミリリットルのペットボトルを消費し、2セットのプラスチック製の弁当箱を捨て、レタスの外装のプラスチックや、煙草の外装フィルムもそこに追加される。毎週金曜日のプラスチックのゴミの日には、とんでもない量のプラスチックがゴミ箱に溜まっている。それらは突如として発生し、空を埋め尽くすイナゴの大群を思わせた。何処からやってきたのか、そして何処へ向かっていくのか想像もつかなかった。毎週金曜日に何度もそのテーマを反復して考えてみるも、それは頭の中をかすめ去っていくだけで、答えという答えは見つかりそうに無かった。

とにかく今日も、3本のペットボトルをゴミ箱に投げ入れたし、煙草の外装フィルムも捨てたし、かつ丼の入っていた空き箱も捨てた。

僕はこう見えて楽観主義なので、明日からもプラスチックを大量に消費しながら、エコバッグを持ち歩くことで自分はエコロジストだと思い込むことに、どうせ成功するのだ。それが悪いことだとは思わない。ただエコバッグを持ち歩くことが快感物質を発生させる装置としての役割を果たす社会になった、ということだけは言えるのだ。我々はその快楽を貪りながら、太った資本家のような顔をして、今日も明日も明後日も、いつもと同じ街を歩く。


8月19日(水)

今日は家から出ないことに決めた。家から出るとろくな事がないからだ。

第一、気温の問題がある。暑すぎるし、紫外線は容赦なく肌を焼く。外に出た瞬間に僕はもうすでに汗まみれになる予感を背骨の奥で感じる。じんわりとその部分が温められ、体の表面は焼けてくる。白身魚を、十分に熱したフライパンの上に乗せる時のように、僕の肌はジュッという音を立てて焼けていく。熱されたオリーブオイルと白身魚の含んだ水分が反発し、熱い油が撥ねる。こんな目に遭うなら、家から出るなんて真似はしない(誰が望んで、フライパンで焼かれる白身魚になりたがるだろう)

それに体力を消耗する。歩く事は体力を使うものだ。僕はあまり筋肉を持っていないし、脂肪やらそんなものも持っていない。無駄な体力を消耗する余裕などないのだ。家でやりたい事が山ほどあるというのに、外でエネルギーを消費して、家での活動に回す事が出来なくなってしまう。

それに、とにかく新しいスピーカーが届いたのだ。僕は新しいスピーカーを使ってあらゆる音楽を聴いた。コルトレーン、バッハ、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、アート・テイタム、ビートルズ……ジョン・ケージは辞めておいた。そうするのがいい気がしたからだ。

音楽を流していると、何のために音楽を聴いているのかわからなくなってきた。暑さのせいかもしれない。暑さは窓の隙間、透過性、換気扇、ドアの隙間、そういったところから部屋の中まで入り込んできた。ある種の虫を思った。ある種の虫は、自分の体高より狭い隙間をすり抜ける事ができる。

僕らは特に音楽を聴こうって気分ではないときに、何を考えながら音楽を聴くのが正しいのだろうか。僕は主に、スピーカーの作る振動が建物をどのように振動させるか、また、自分の耳に届くまでにどのような順路で、壁に何回反射してくるのかを考えていた。これは、音楽を聴く態度としてあまり正しいとは言えないだろう。だけど何が正しい聴き方だって言えるんだ?


8月20日(木)

憔悴しきった身体で、ひどく曲がった背骨で、僕は帰ってきた。郵便受けをチェックした。荷物の不在通知が入っていた。僕は通信販売で物を買いすぎかもしれない。それでも通信販売はコロナ禍じゃ正義だ。自分を慰める方法を僕はよく知っている。これはコロナ禍のせいだろ?Yes. ウイルスのせいにすりゃなんでも許されるのさ。

大富豪というカード・ゲームでは「革命」を起こすと(革命とは4つの同じ番号の柄違いのカードを同時に出す事だが)全てのカードの強さが逆転する。一番弱かった3が一番強くなり、一番強かった2が一番弱くなる。コロナも、ある意味においては同じ作用を持っているように感じざるを得ない。家の中にい続けることがエコロジーであると気づくには遅すぎたのかもしれない。人類の進化のスピードはここ数千年で一番遅くなっている。様々な事にきづくのが遅すぎたのだ。手遅れになってから言い訳したところで誰も聞いてくれない。

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鼠が外で死んでいた。猫が持ってきたのかもしれない。


続く

前回までの日記


執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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