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「フライパン前史」音楽家ナオヤ・タカクワによる日常の批評的分析〜第七回



僕はフライパンが好きだ。フライパンと二口のガスコンロがあることにより、しがないアパートメントでの二人暮らしは虹がかかったようなカラフルな色味を帯びてくる。フライパンの上で僕たちはさまざまな物を調理することができる。アンガス牛、オージー牛、和牛、豚ロースの薄切り、豚ロースの厚切り、鶏胸肉、鶏もも肉、パプリカ、玉ねぎ、ほうれん草、ポテト、カブ、ニンニクと唐辛子とオリーブオイル、つまりペペロンチーノ、クリームソース、トマトソース、挽肉のソース、アジ、タイ、サケ、タラ、アサリとオリーブオイル、つまりボンゴレ・ビアンコ、アンチョビフィレ、ベーコン、ハム、卵、パン、チーズ、ブロッコリー、その他いろいろ。

具材を書き出すだけで僕たちの目の前には、濃厚な香りと湯気とほとばしる様々な種類の汁と幻想にも似た豊かな情景が浮かびか上がってくる。それは例えば、永久に続きそうな田園、山々からこぼれ落ちる湧き水の滴、小鳥のさえずり、鹿が一点をじっと見つめている様子、暗い山道のタヌキ、五月に繁る若葉の匂い、土の匂い、風の匂い、採れたてのオレンジの匂い、池に浮かぶヒツジグサ、冷たいピリッとした朝五時ごろ東の空から顔を出す太陽、乗馬、バレエのレッスン、農夫たち、パリのカフェ、美しい顔のない人々の群れ、海岸に打ち寄せる穏やかな波、貝殻、砂、カーニヴァル、豊満な女性、裸体、清潔で程よく乱れたシーツ、小舟、はためく帆、ゴッホ、モネ、マネ、ドビュッシー、サティ、ラヴェル……

これらの連想が逆方向に動くことも可能ならば、これらのフランス出身の画家たち、音楽家たちはお腹を空かせて料理のことを考えながら絵画を描き、音楽を奏でようとしていたのかもしれない。ジークムント・フロイトは性欲と睡眠については十分考察したが、食欲については不十分だった。我々人類の無意識の海の一番底の部分に眠る偉大なる三大欲求の中で最も楽しく、最も美しく、最も重要で、生きる上で欠かすことのできない「食欲」のことを「無意識」に忘却していたとしか思えない。フロイト自身について精神分析を行うならば、幼少期に食に関するトラウマがあったのかもしれない。それが原因で最も重要な欲求について考えること自体を無意識的に忘れてしまっていたのだ。

フライパンについてに戻る。僕は二種類のフライパンを所持している。鉄製のフライパンとアルミ製のフライパンだ。アルミフライパンを買ったのは最近のことで、それは主にパスタ・ソースのために使われる。鉄フライパンを購入したのは学生時代のことだった。たしか七、八年前のことだったと思う。僕は貧乏な学生で、飢えており、調理について考える時期が来ていた。あまりの金のなさにキャンパスへ食パンとブルーベリー・ジャムを持っていき、昼食のための休憩時間には焼いていない食パンにジャムを塗って食べた。ブルーベリー・ジャムは時にはマーマレード・ジャムやピーナッツ・バターに変わったし、場合によってはチーズにも変わった。リッチな気分のときにはそのあとにアイスクリームを食べた。リッチではない気分の時には「コアラのマーチ」を持ち歩いた。「コアラのマーチ」は最も安価で、ある程度の美味しさが保証されており、またどこにでも売っていて、持ち運びに便利だった。そして、「コアラのマーチ」を左手に持ち、右手には学食から拝借したプラスチック製のコップに、キャンパスのそこかしこから採れる水道水という名の万人に無料で提供されている社会主義的飲み物を補充し、持ち歩いていた。それらの悪行がたたり、虫歯に悩まされ、歯を二本ほど抜いた。

その姿は、髪の毛を明るい赤色に染めていたことと、大半が古着かもしくは中学生のときに買ってもらったユニクロで構成された服装も相まって(また週に二度ほど徹夜でラップトップPCへ向かっての録音を試していたせいで顔色が悪かったこともあって)学生ホームレス、もしくは迷い込んだドラッグジャンキー、出鱈目なグランジ、もしくはコスプレに失敗したオタク、いずれにしても場違いであるということを表象してしまっていた。

このような退廃的生活に塗れながら、僕は調理という道を見出すことになる。学生の胃袋を容易に満たしてくれる中華料理の存在がそこにはあった。コンロの強火に耐えられるフライパン――すなわち鉄製のフライパンを近所のさびれた金物屋で買い求め、偉大なる化学調味料――味覇(読み方はウェイバァーでありウェイパーやウェイパァではないというところが重要だ。「パァー」と引き延ばされた語尾にはシャンデリアのような華やかさとサイゼリヤ的世紀末感が同居していた)を手に入れたことにより、さまざまな中華料理を作ることになる。チンジャオロース、鶏肉のカシューナッツ炒め、卵とトマトの炒め、名も無い野菜炒め、ソース焼きそば、塩焼きそば、五目焼きそば、肉、野菜、肉、ニンニク……中でもチャーハンを作るのが一番好きだった。

チャーハンの素晴らしいところは肉と野菜と米がひとつの皿の中に収まっていることにある。しかもそれはひとつのフライパンで作ることができたのだ。添え物を用意する必要もなかったし、少しの時間と少しの金と少しの労力があれば作ることができた。その料理は僕に未来を見出させ、また同時に中国の重みのある歴史を感じさせた。

中華料理は油を多量に含んでいる。なぜかはわからないが、油は我々に幸福感をもたらしてくれる液体だと感じる。多量の油を一度に摂取したときにはその成分が直接脳細胞の中を駆け巡り、嫌な思い出を消し去り、またいい思い出すらも消し去っていく。いいものも悪いものもない状態というのが一番幸福であるということはある種の真理に思える。たいていの場合はその後残酷な胃もたれと冷徹な虚脱感と愚鈍な吐き気に襲われる、ということを差し引いても油に塗れている最中の恍惚感はこの世のものとは思えない幸福を内臓にもたらした。多分そのとき一時的に我々は天国へと行っているのだろう。そして、心地よい夢から覚めたあとの「ああ残念」という気持ちがある種の生理的不快感を持って押し寄せてくるのだと思う。全ての快感と不快感は比較することでしか測りえないし、もちろん比較したときにはどちらかがいいものでどちらかが悪いものになるからだ。鉄球と綿を天秤の右と左に乗せた時に大きく右に傾く、というのと同じである。鉄のフライパンは高熱で温め油を十分に敷くことで具材を何ひとつこびりつかせないという、神に与えられた能力を持っていた。そのおかげで僕は必要十分以上の油をいつも加熱し、油は胃の中で常にうごめいていた。

鉄製のフライパンは水で流したわしでこするだけの後処理、という気楽さも備えており、その特色は当時の僕のライフスタイルにうまくマッチした。僕は鉄製のフライパンのようになりたいと思い、鉄フライパンは僕に憧れを持っているように思えた。犬が飼い主に似るのと同じように僕はだんだん鉄フライパンに似てきて、鉄フライパンは僕に似てきた。僕らは二人でひとつであり、小さなアパートメントで住むにはうってつけの同居人だった。何しろ、餌代や、気遣いや、すれ違いや、言い合いや、縄張りあらそいや、TVのチャンネルの奪い合いからは無縁であったのだ。とはいえ些細なすれ違いはしばしば起こった。例えば調理前の加熱が足りなかった時。彼は機嫌を損ね、あらゆる食材はあらかたフライパンの表面にくっついた。だけど、それはいざという時には強い武器にもなった。僕はそのフライパンをいつでもすぐ手にとれるように、常に玄関から程近いガスコンロの上に置きっぱなしにしておいた。建て付けの悪いドアを持つ、また築年数が歴史の教科書に載りそうな域に達していた惨めな建物の中で、毎晩安心して眠ることができたのはそのおかげだ。

ここまでが僕のフライパン前史だ。油とウェイパァーに塗れた食生活。それは神聖なフライパンへの祈りであり同時に冒涜でもあったように思える。強い火力での調理は、狭いアパートメントのうちほとんどのものに匂いを与えた。ハンガーに吊るした服、黄色味がかったカーテン、ベッド、ソファ、カーペット、あらゆる布製のものたちはあらゆる臭気を吸い込んだ。ベランダがなかったため、部屋ぼししていた衣服は悲惨だった。当時のことを思い出すに僕がいかに非常識かつ不衛生な人間であったかがわかる。それももしかしたら鉄のフライパンに憧れていたからかもしれない。彼はあらゆる具材の一部を取り込み、一体化していくようにみえた。僕は世間とか社会とかそういったものをいろんな角度から吸収していくタームにあった。人とのコミュニケーションもフライパンとの付き合い方から学んでいったと思う。熱しすぎるな、しかし不十分な熱で終わらせるな。その黒光りする筐体はいつだってハードボイルドで、紳士的で、高飛車でなく、必要十分で、機能的で、頑固で、しかし美しい。うん、これはまるでバウハウスの家具のようだな、と僕は思う。もちろん鉄フライパンはバウハウスのスクールよりずっと前から存在している。そこで、バウハウスは鉄フライパンみたいだなと思い直す。

鉄フライパンへの憧れは今でも僕を支配している。より硬く、より熱く、よりシンプルに。それは他の何よりも僕の音楽観に影響を与えた。脳の中央に鎮座し、僕に指示を出し続けているのだ。まるで楽団の指揮者のように。


前回までの日記


執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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