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「サキソフォンについて、フライド・ポテトと紙ナプキンで書く」音楽家ナオヤ・タカクワによる日常の批評的分析〜第十一回



ぼくは今、渋谷へ向かう列車を待ちながら、駅のホームでこの文章を書き始めた。普段このコラムを書く時には自宅で、PCに向かってキーボードを叩くことによって文字の連なりをなんとかひり出している。だけどぼくは今PCを持っていないし、二本足で立ちながらにしてPCのキーボードを叩くことなど不可能に思える。それなら鯨の背中で逆立ちをする方がまだ簡単だろう。

とにかくこれは新しい試みなのだ。ウェブにこの文章が掲載された瞬間、この実験的な試みも全くの無意味に思えるものに成り下がるであろうことはわかっている。それでも、ぼくは立ったまま文章を書くということに一種の煌めきのようなものを感じている。急行列車が通り過ぎる轟音のなかでペンを走らせる姿はパブロ・ピカソが公園で鳩をスケッチする姿に似ているのではないかと、妄想に浸りだすと自己満足のナルシシズムがよだれを垂らして網膜を濡らす。視界はすでに白濁しきっている。

ところで、今日のテーマだが、ソプラノ・サキソフォンについて語ろうと思っている。サキソフォンは通称サックスと呼ばれている。ほとんどの人にとって馴染みのあるサキソフォンはアルトとテナーだろう。彼らはローマ字のSを引っ張って伸ばしたような形をしており、その曲がりくねった形は少し角笛を思わせる。アドルフ・サックスが作ったこのサキソフォンという楽器は木管楽器の操作性と金管楽器の音の響きを両立させるという思惑の上、作られた。その性質上、金属でできているにもかかわらず木管楽器に分類されているという、その存在自体が矛盾を孕んでいるような楽器だ。

矛盾。それはぼくを興奮させる一種のアドレナリン増幅剤だ。矛盾の反対はアンサーである。矛盾の生じた瞬間そこに一つの解という概念は存在し得なくなる。一つの答えを押しつけられるのを嫌うのがぼくの性質だ。さまざまな校則を押し付けてくる学校はやめてやったし、クイズ本の答えのページは全て疑ってかかった。

Q.パンはパンでも食べられないパンとは?
A.フライパン

そんなの狂ってる。

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ソプラノ・サキソフォンはアルト・サキソフォンやテナー・サキソフォンのようにS字型をしていない。サキソフォンという楽器にもかかわらず、その管体は真っ直ぐになっている。金色のクラリネットといった趣だ。その管体にはメカニカルな構造が施されており、どこを見ても見飽きることはない。ぼくはこれほど美しいものはこの世に存在しないと思っている。

さっき、金色のクラリネットと言ったが、クラリネットから想起されるものも、このソプラノ・サキソフォンのぼく自身のなかでの立ち位置を規定する一種の材料になっている。

ぼくの敬愛するジャン・ミシェル・バスキアはGRAYというバンドでクラリネットを演奏していた(もちろんGLAYではない)。彼がクラリネットを構えた一枚の写真が残っている。正面にはドラマー、向かって右にトランペッター、そして向かって左にクラリネットを咥えたバスキアが写っている。

ぼくがソプラノ・サキソフォンを吹く時、この一枚の写真のイメージが脳裏に常に付き纏う。若くして死んだ人々の残りの人生を生きられるんじゃないかって気分になる。死者の亡霊がぼくのサキソフォンにも染み付いている気がする。何しろ、これは五十年前に作られた楽器なのだ。ヤマハのヴィンテージである。

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ぼくはリボ払いというシステムを活用している。そのおかげで給料一ヶ月分のこの楽器を欲望に任せて手に入れることができた。そして、このシステムのおかげで毎日練習スタジオで楽器を吹くことができるし、ケニア産のコーヒー豆を買うことができるし、空腹と飢えをしのぐことができる。つまり今こうしてハンバーガーを食べていられるのもリボ払いのおかげなのだ。そう、ぼくは今ハンバーガー屋でフライド・ポテトをペンがわりにして紙ナプキンに文章を綴っている。フライド・ポテトはしっかりと悪質なサラダ油を吸っており、それは物を書くのにちょうどいいのだ。

そう、友人J、友人Yと合流し、ハンバーガーを食べていたのだ。彼らの前でノートとペンを広げるなど無礼もいいところ。ぼくは紳士的な態度で、食事のための道具のみを使って文章を紡ぐことにしたのだ。誰もぼくが文章を書いているなんてことは気が付かないだろう。できればぼくの友人たちに告げ口するのはやめてほしい。人前では常に紳士を装っているのだ。

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この亡霊の楽器を使って、このところ毎日練習スタジオに籠もっている。そうしていると、映画『マトリックス』のあるシーンを思い出す。

ネオが頭に電極みたいなものを繋がれて、仮想空間へ転送される。その空間には時間の概念が存在していない。そのおかげで、ネオは現実時間にして一秒ほどでカンフーをマスターすることができる。何もない真っ白な部屋でカンフーをひたすら練習し続けるのだ。この映像はぼくにある教訓を与えた。永遠に思えるような長い練習時間も、長い目で見れば一瞬みたいなものだということだ。

ぼくはソプラノ・サキソフォンをマスターするまで五十年はかかると踏んでいる。五十年後、かなりの老人になっているだろう。それでもそこまで行き着くのは一瞬かもしれないな、と思う。バスキアの三倍生きようと思う。そしたらバスキア三人分にもなれるかもしれないから。Yは煙草を辞めていた。ぼくは禁煙を辞めていた。煙草の煙は弔いの線香だ。どこもかしこも死の気配ばかりだ。憂鬱は花粉とともに過ぎ去った。桜も散った。だけど全部ここから始まるような気さえするのだ。


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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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