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ナオヤ・タカクワの日記〜2020.08.07-08.13
8月7日(金)
夜、ウォッカを飲んだ。ウォッカは冷凍庫で冷やすとうまいらしい。僕は冷蔵庫から酒の瓶を取り出して、コップに注いだ。暑い日だ。部屋のすぐ外では蝉が死んでいた。目の前のそれを一口飲んだ。それはもうぬるくなっていた。キッチンに行って、流しにそれを捨てた。いい気分だった。
8月8日(土)
毎日つまらないことばかりだ。それは僕がつまらないことに気をとられているからだ。つまらなくない物に気を向けるにはつまらないことを排除しなければならない。なぜなら、つまらない物は簡単だからだ。簡単なことはいつでもできる。簡単なことをやって満足した気になっているが、それがほとんど無意味だということに、大抵は夜になってから気づく。夜は偉大だ。太陽の明かりのない世界では物事がよく見えるようになる。仕事、洗濯、風呂掃除、いろんなことに対して手を抜いてやる。それで、残った気力を使ってフーコーを読む。フーコーを読むにはどうしても体力が必要なのだ。え? フーコーを読むことが無意味だって?世の中では、最も無意味なことが最も有意義であるということすら容易にあり得るのだ。誰だって意味を求めて、友人とランチに行ったり、家で音楽を聴いたり、散歩に出かけたりしないはずだ。それは快楽を求めているというのとも違う。リラックス効果を求めてかもしれないが、それらの行為の何が我々に弛緩をもたらすのか。それらが弛緩をもたらす効果があるとするならば、そもそもそれらの行為は無意味ではないのではないか。そもそも意味とは誰にとっての意味なのだろう。僕にとって意味がある物、意味がない物を決定しているのが僕自身だとするなら、それは何を基準に行われているのだろう。少なくとも僕には、そこに存在するはずの基準なんて物は意識することなく、有意義、無意味を分けている。燃えるゴミと燃えないゴミの仕分け方のように、それらは明確な違いを持っていないのかもしれない。僕が目の前にあるプラスチック製のレジ袋を燃えるゴミに分類するか、燃えないゴミに分類するかは僕自身にかかっている。それを市の決めたゴミの分類表を熟読して、正しい選択を行うかもしれない。しかし市の決めたゴミの分類が必ずしも地球温暖化を遅らせるのに役立つとは限らないのだ。
8月9日(日)
何もすることがない日。僕は何もしなかった。友人を誘って飲みにも行かなかったし、どこかへ買い物に行ったりもしなかった。買い物に行かなくてもかろうじて食べる物はあった。シリアルの残りかす、50グラムほどだけ残ったスパゲティの乾麺、粉チーズ、納豆、萎びたレタス、賞味期限の近い湿気ったクッキー。僕はそれらを次々と胃の中へ放りこんだ。
外では蝉がまた鳴いていたが、オーケストラを流してそれをかき消した。蝉たちは不遇だという風に更に大きく鳴いた。僕は更にオーケストラのヴォリュームを上げた。レナード・バーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルハーモニックには、今日だけは僕のためだけに働いてもらおうと思った。僕専用のオーケストラはいつでも僕のリクエストした曲を演奏してくれた。彼らも蝉という仮想敵を手に入れ、張り切っているようだった。まだまだ、演奏したりないという風に見えた。気のすむまで彼らに演奏させた。僕はビールは飲まなかった。ウィスキーも。ウォッカも。
8月10日(月)
カレンダーを見ると、今日は山の日と書いてあった。山の日? 山の日には何をすればいいというのだろう。山登りでもすればいいのだろうか?それとも山の神々に祈りを捧げればいいのだろうか? どちらもあまりしっくり来る物ではない。山の日だからといって山に登ろうとする人がいるだろうか。年に一度だけ?
それに、今日はハーゲンダッツの日だった。ハーゲンダッツの日? もうちょっと工夫できなかったのだろうか。製菓会社がこぞってバレンタイン・デー・キャンペーンを催したように。チョコレートの日、といったってチョコレートが売れるわけではないのだ。ハーゲンダッツの日だって同じような物だ。それでも、僕は帰りに久しぶりにハーゲンダッツを買った。広告の力は恐ろしい。
昨日は、トッポ(TOPPO)――棒状のポッキーを外と中を逆にしたような食べ物、チョコレートが中に入っている円筒型の菓子――のCMソングを口ずさんだ瞬間から、僕と妻の頭の中はトッポで一杯になってしまった。夕飯を食べたあとにもまたトッポのことを思い出した。さっき買い物ついでに買っておけばよかったのだ。だけどもう遅かった。夜の9時を回っていたし、僕らは夕飯でお腹が一杯だったし、歯磨きだってきちんと終わらせてしまったのだ。僕らはパジャマに着替えた後も、そして布団に潜り込んだ後もトッポのことを考え続けた。僕らは背中合わせに寝ていた。会話はしなかったが、お互いの考えていることがわかった。勿論、僕は彼女がトッポのことを考えているのを分かっていたし、彼女もまた僕の頭の中がトッポで一杯だと分かっていた。僕らはそれを口に出しはしなかった。口に出した瞬間、トッポ無しでも成り立っていたこの空間が、支えになっていた氷が溶けて大破した雪山の雪崩のように、崩れ去ってしまうことが分かっていたからだ。
僕たちは今にも崩れそうな雪山を前に、今か今かと待ち構えていた。雪解けの水が雪山の地下深くでゴオオという音を立てるのが聞こえた。我々はこれ以上ないくらい神経をすり減らしていた。もう限界は近かった。
どこからともなくその声が聞こえた。それは妻の声帯が震えて出てきた物にも思えたし、僕の声帯が震えて出てきた物にも思えた。
その夜。悪夢を見た。僕はどこかのパーティー会場にいる。いかにも僕には場違いな場所だ。大きなステージがあり、周りを囲むU字型の階段があった。僕は用務員のような格好をしていた。実際に用務員の仕事をしている最中だったのだ。だけどその途中で入り込むべきではない場所へ、入り込んでしまったのだ。僕は舞台袖のような場所からステージを見ていた。この場所へは、社交場のようなところ、タキシードを着た紳士たち、着飾った淑女たちが円形になり会話を弾ませる中を急いでくぐり抜けてきた末にたどり着いたのだ。僕はもうステージに出てしまえば終わりだと思った。だけど、ステージに出てしまえば何も怖い物はないだろうな、とも思った。ステージの向こう側には出し物を待つ大量の観客たちの姿が見えた。彼らは今や、しんと静まりかえり、こちらの方を向いていた。ステージに出て、どんな話をすればいいのか考えたが、最適だと思える物はなかった。何も、僕には話すことがなかったのだ。話すことも、特技を披露することも、何もできそうになかった。何もだ。僕はそこでは完全なる無だったのだ。
そして目が覚めた。目が覚めたとき、あたりはもう、ハーゲンダッツの日の様相をしていた。それで僕はハーゲンダッツを買う羽目になった。
8月11日(火)
……
僕が日記を書かなかったことを責められる人間が何処かにいるだろうか?
8月12日(水)
僕は週に一度はハンバーガーを食べることにしている。週に一度は食べないと、自分の存在を認識し続けることが難しくなるのだ。理由はよくわからない。ただ、ハンバーガーの肉、野菜、小麦粉を全て片手で持てるサイズで摂取できる機械的な佇まいは、僕の中の理性の奥に眠っている野生の部分や欲望を効率的に満足させてくれることに寄与していることは間違いない。ハンバーガーにかぶりつく時に僕は上顎と下顎を目一杯開き、頬の筋肉を収縮させ、目尻を歪ませる。肉食獣のそれに似たジェスチュアはきっと我々人間の祖先が狩りをしたり、肉を引き裂いて食う行為に直結しているのだ。僕は今日も狩りに出かける。獲物はそう遠くないところにいる。遠くに行けばもっと素晴らしい獲物もいる。僕はいつだって最高の獲物を手に入れたい。
しかしながら、妥協することにして近所のハンバーガー・チェーンへと向かった。僕の住むアパートメントの近くには二つハンバーガー・チェーンがある。マクドナルド・ハンバーガーとフレッシュネス・バーガーだ。大抵の場合はマクドナルド・ハンバーガーで済ませてしまう。僕はマクドナルド・ハンバーガーのダブルチーズ・バーガーが気に入っているからだ。それにそう多くの代価を支払う必要もない。フレッシュネス・バーガーは価格の割にハンバーガーへの欲望を正しく満たしてくれない。それはバンズの比率の問題かもしれないし、塩分比率の問題かもしれなかった。僕はハンバーガーの塩分比率について考えた。程よく濃い、というのが一つの理想であることに気づいた。フレッシュネス・バーガーはケチャップとマスタードで調整すれば悪くない塩分比率が完成する。しかし、サーヴされたままの状態で塩分比率が完成している他のハンバーガーと比べると、どうしても見劣りがしてしまう。それでは、機械的に僕の欲望を満足させるには至らない。自らの手でハンバーガーに手を加えた時点で、それはもうハンバーガーではないのだ。
僕が今回、近所にあるうちのどちらのハンバーガー・チェーンへ向かったのかは公表しないでおこうと思う。それによって世間に混乱がもたらされるかもしれないし、現在我々が置かれている状況以上の混乱なんて誰も求めていないからだ。我々は混乱し尽くしていて、僕が向かったハンバーガー・チェーンが正しかったのかどうか、ということまで考える気にならないだろう。最後にヒントだけ言っておくと、僕は時間を潰せる場所を必要としていたということだ。妥協に妥協を重ね、状況を加味し、喫煙席の存在する、現在においては稀有なハンバーガー屋に向かって、ケチャップもマスタードもつけずにチーズバーガーをただただ時間の許す限りにおいて貪り食った。
8月13日(木)
……
僕が日記を書かなかったことを責められる人間が何処かにいるだろうか?
続く
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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ
1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。