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「音楽を聴く意味 Pt.1〜芸術家は何故作品を作るのか〜」音楽家ナオヤ・タカクワによる日常の批評的分析〜第九回



我々は何のために音楽を聴取するのか。それは人類に残された大いなる謎であるとともに、我々音楽家としてはさらに重大な意味合いを帯びてくる。音楽家は自分で聴くために音楽を作っているのではなく、人に聴いてもらうために音楽を作っているのだ。

僕はときどき思う。自分は何のために音楽を作っているのだろうかと。もちろんこの議題に対しての優等生的回答というものが用意されていない訳ではない。これは、音楽だけに限った話ではないが数多くの芸術家たちが、自分は何のためにそれをやっているのか?と聞かれた時に答えられる一つのパターンとして存在する。

つまりそれは、音楽(もしくは文学、絵画など)を作る理由というものは存在しない。ただ「書かずにはいられないのだ」という回答である。この回答は我々が芸術と呼ばれるものを作成するのは、うちなる欲望からであり、周りの人々がそれをどのように享受しようが知ったこっちゃないという響きも隠れている。だが、実態はそうではない。多くの芸術家たちは作品を作るたびに世の中に発表するし、どのような形でレスポンスが返ってくるのかを、石を湖に投げてみて魚が跳ねるかどうか見守るような形で常に気にしているのだ。

ただしもちろん例外も存在する。例えば、ヘンリー・ダーガー。彼は途方もないページ数の本を作りながら、ついに世間にその作品を発表することなくこの世を去った。更に、生前自分が死んだら「自分の持ち物は全て捨ててくれ」と話していたという。この態度からは世間に自分の作品を発表する気がなかった。自分だけの楽しみとして作っていたのだということもできる。

だが、僕はここでひとつの仮説を立てたい。彼の作品は何ひとつとして完成していなかったのではないか。それゆえに世の中に発表することもできなかったのではないか、というものだ。それはひとつの作品が一万ページ以上に及んでいることからも推測される。それほどの膨大な量を持つ作品を完成させるのは、余程の労力が無いと不可能であり、場合によっては後継にこれ以降は任せるなんてことをしないといけないかもしれない。彼の作品はまだ半分にも達していなかったのかもしれない。未完成の作品を世に出すことは、芸術家はできないのだ。

だから僕は全ての芸術家は人に「聴かれる/読まれる/見られる」ことを目的としていると考えている。その上で、重要になってくるのが冒頭に話した、誰が何のために「音楽/文学/絵画」を「聴く/読む/見る」のかということだ。こんな時に一番参考になるのは自分自身がどのように『芸術』を享受しているのかということであり、それを突き詰めることは泥の中に沈み込む足をなんとか引っ張り上げながら、一歩一歩ジャングルの沼の中を歩いていくに等しい難解さを持っているのだが、何とかそれをやってみようと思う。

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《僕が音楽を聴くシーン》

・携帯電話のアラームが鳴る。これにはメロディがついている。

・朝起きてコーヒーを淹れている最中のバッハ 。

・淹れ終わった直後にゴミ収集車が家の前を通る。その車からはあるメロディが流れている。それが僕たちに、ゴミ収集車が通っていることを知らせている。

・その後耳にイヤホンを突っ込んで駅に向かう坂道を歩く。大抵は古風なジャズ。スウィング・ジャズかニューオーリンズ・ジャズが一番上がる。

・電車内。最近はラヴェル、サティ、もしくはブーレーズ。

・昼時にスーパーに入ると必ず音楽が流れている。これは場所によっていろんな音楽がある。ポップソングのインスト・アレンジの場合もあれば、ジャズの場合もあるし、その店のオリジナル・テーマ・ソングの場合もある。そこで弁当を買う。

・帰りの電車内のBGMはその日の疲れ具合によって決める。大抵はその時に聴きたいものを選ぶが、すごく疲れている時には速いモダン・ジャズは聴けないし、ロックもなかなか厳しい。クラシックすら無理な時がある。全部ダメな時には何も聴かない。それが一番いいからだ。

・家に帰ると、好きなのをなんでも聴く。なんでもだ。

・LINEを使って誰かに電話をかけると音楽が流れる。今電話を繋いでいるという合図だ。

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書き出してみると、音楽の聴き方には三種類あるように思われる。

・朝のバッハや通勤電車内のサティ、スーパーの音楽=BGM
・目覚ましのアラーム、ゴミ収集車、LINE通話の音楽=道具としての音楽
・帰りの電車、家に帰ってから聴く音楽=能動的音楽聴取

これらが何を意味するのかを次回以降に書こうと思う。


前回までの日記


執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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