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ナオヤ・タカクワの日記         2020.06.12-06.18


6月12日(金)

――やあ、諸君。今夜も蒸すねえ。アツい夜。アツいソウル。こんな日はよおおおおく冷えたグラスによおおおおく冷えたビールを勢いに任せて、注いでしまって、飲んでしまって、また後悔してしまって。そこまでがワンセットで夏の風物詩ってものでしょう。そんな私は日の暮れ切らぬうちから赤ワインなんか飲んじゃって、そしたら妻が白ワインを開けちゃって、二人で酔ってぐでんぐでん。気が付いたころにはもう朝もとうに過ぎて。日がまた落ちそうになっちゃって。もったいないものだからとまたグラスに酒を一杯。グビッと行けばまた新しい夜が始まる。皆さん、いかがおすごしでしょうか。元気なお兄さんも、元気のないお姉さんも、元気のないお兄さんも、元気なお姉さんもみんな揃ってまずは踊りましょう。今夜のBGMはこちらでどうぞ。ジミー・ジュフリーでPopo。――


6月13日(土)

甘い夜風が入ってきた。少しワインを飲みすぎて寝てしまった。服も着替えずに。靴下も履いたままで。メイクされたベッドの上で布団もかけずに。文章を書き始めると、夜が始まる。夜が始まると、文章を書き始める。寝る前に耳元で蚊が囁いていたが、彼はもうどこかに行ってしまった。惰眠を貪る罪の意識。しかし罪はとっても甘い。だから、ジャズはとっても甘い。クラシックはキリッと辛口。僕の意識は寝起き特有の朦朧とした状態である。

サーストン・ムーアのツイートがリツイートで回ってきて(そもそもサーストン・ムーアがツイッターをやっていることに驚き。って今の時代誰でもやっているか)その内容が「Can we have a Sun Ra statue? Yes! John Coltrane? Yes! Angela Davis. Yes!!!!」というものだったのだが、サン・ラとジョン・コルトレーンに並んでいることからてっきり、アンジェラ・デイヴィスなる人物がミュージシャンであると踏んだ僕はあろうことかアップルミュージックでそれを検索してしまった。彼の指していた「アンジェラ・デイヴィス」は米国の黒人女性活動家であったことを僕はグーグルで検索することでのちに知る。

しかしながら、アップル・ミュージックで「アンジェラ・デイヴィス」と検索しても、実は検索結果が出てくるのだ。二人目のアンジェラ・デイヴィスはオーストラリアの女性ジャズサックス奏者だった。これを見ててっきりサーストン・ムーアがジャズについてツイートしたのだとばかり思ってしまったが、実際のところは活動家という文脈で彼ら三人の名前を並べていたのだ。

それでも、間違ってしまった僕はアップルミュージックのアンジェラ・デイヴィスの音楽を流してしまい、これがまたいい。サックスの指で押さえたキーの間を息が溢れそうになるのを詰まらせているような音がなり、それがとてつもなく甘い。なぜか、僕は今、アンジェラ・デイヴィスのサックスを聴きながら、アンジェラ・デイヴィスの演説をユーチューブで聞いている。しかしその二つを同時に流すと完全にグルーヴしだすのはここ一週間で一番やばい現象だ。

「Angela Davis」とグーグルで検索すると、見事なアフロ・ヘアーの美しい女性の写真が出てくるはずだ。「Angela Davis sax」と検索するとアルト・サックスを脇に抱えたオージー・ギャルが出てくる。そしてそのどちらも美女には違いないのだ。

美女の画像漁りに夢中になっていると、美女に混じってクリフォード・ブラウンの写真が出てきて、おいおいオシャレだなと思ってしまう。トランペッターと服装の拘りには宇宙的因果関係が存在しているようにしか思えない。だって、あれほどファッションに執着してたリー・モーガン。あれほどファッションに執着していたマイルス・デイヴィス。ディジー・ガレスピーだって当時はあのメガネがアイコンになる程。そもそもディジーはなぜあの勃起した陰茎の角度をしたラッパを吹くのか。クリスチャン・スコットはなぜあの形を継承しているのか。ドン・チェリーのラッパは短小すぎないか、などトランペットの不思議は尽きない。そして、トランペットとサックスの両方を経験するとわかるが、サックスを吹くのは陰茎を咥える行為に似ているのに対し、トランペットを吹くのは肛門に接吻をする形に酷似している。「サック・マイ・ディック」「キス・マイ・アス」という二つの侮辱後は、ディジーとバードのコンビに見た目のみならず内容まで一致していて、めまいがする。

つまり、やっぱりフロイトの言説に全ては集約されるのではないか。ジャズの主役であるトランペットとサックスすら肛門と陰茎への執着に過ぎないのだから。


6月14日(日)

今日までアイコスが割引になっていたので、買おうと思っていたのだが、酔っ払って買い損なってしまった午前2時少し前。ピアノを聞いて談笑して、無理を言って閉店時間を四時間回って飲むと言う強欲さにより、我々夫婦はモンスターと化し、夜中の家に帰る坂を「ゆず」を渋い声でアレンジして、とんでもない急斜面の上り坂を登りながら矛盾した歌詞を平気で歌って帰ってしまった。

明日も仕事だ、なんて野暮なことを言い出したら震えが止まらない。夜は夜に身を任せて。全ては夜風の吹くままに。アルコールを飲めないことよりも、明日はまた明日を生きなければならないのだという、生物に生まれてしまったがゆえに本能に刻まれてしまった個体保存欲求により、ナイフの切っ先を喉元に突きつけられながら生きながらえるしか選択肢のない人生を嫌々ながら、それでも楽しみながら、なんとか生きていこうとする哀れなヒト族の末裔として、なんとか萌えるゴミ、いや燃えるゴミをなんとかゴミ捨て場にタッチダウンしてきたところ。

語りは語りを生み、飲酒は飲酒を呼び、それらは最終的には眠気へと集約され、最終電車の揺れに誘われ、眠りに半分片足を突っ込みながらも、妻が隣で起きていたおかげでなんとか家にたどり着き、コンビニでポカリスエットを買い五百ミリリットルを一気飲みしてシャワーまで浴びたおかげでもとどおり元気である。

アルコールの摂取により干からびて、増えるワカメ状態になってしまった僕は、水分をそのあと摂取したおかげで文字通り増えてしまい、人格は分裂し、僕の手は僕の意識を離れ、ひとりでにキーボードの上をのたうちまくる。今の僕にできることはこののたうち回る手をどのタイミングで止めるか、ということだけであり、書いていく内容をコントロールすることは不可能だ。この心地よさ。この快感。が全てのものに勝るよろこびとして存在する限り、僕は安心して生きていられるし、人々に笑顔を向けたり、挨拶をしたり、歯磨きをしたり、幼児のように眠ったりできるのだ。この能力を僕は生まれながらの才能として享受し、対話し、合意し、今日もありがとうと言って寝る。そんな夜。

毎日蒸すし、暑いが、クーラーをつければとびっきりの乾燥と冷風が待っている。サウナ・トゥ・水風呂効果。わんわん響く。反響し何倍かに増幅された僕の声は。


6月15日(月)

体重が少し減ってきてしまったので、胃袋の容量を増やす。そのために、ランチにやよい軒に行き白米大盛りを頼んだ挙句に、またおかわり、というわんぱくぶりを発揮してしまった。人間はわんぱくである限り、平和だ。今日も明日もわんぱくに生きよう。外を裸足で走ったりしよう。

ディナーもまた、ご飯をおかわりし、わんぱくな上にまんぷくでこの文章を書いている。もう11時か。わんぱくは寝る時間だ。おやすみ。


6月17日(水)

また日記をさぼってしまった。昨日は帰ってから着の身着のままで寝てしまった。

素晴らしい季節がやってきた。昼は暖かく、夜は涼しいのだ。部屋に帰ったらヤモリがいた。我々は彼のことをアダンソン・ジュニアと呼んでいる。彼は我々がドアの前までたどり着くと、恥ずかしそうにコソコソと壁を這ってどこかに行ってしまった。

我々は少しビールを飲んで、食べ物を食べた。僕の胃袋は大きくなっている。たくさん食べても、まだ食べる。食欲は生きる実感を与えてくれる。僕は食欲を得るために食べ、また食欲を満たすために食べるのだ。欲望のない場所には、充足はない。充足を得るために、まずは欲望を手に入れる。これが資本主義なのかもしれない。そしてそれはやはり正しいのかもしれない。


6月18日(木)

目をしばしばさせて、今日も夜。キーボードを叩く。真っ赤な目をして。午前3時ではない。だってまだ空腹は僕を満たしていない。目の奥に黄色が見えて、横になると目が覚めた。空は青い。午前11時ではない。夜風が涼しいから。

カティサークの瓶が羨ましい、緑だから。僕は透明になってカティサークの瓶を体に透かした。これで僕も緑だ。夜明けはすぐ、だって眠れば朝が来るから。

睡眠薬の代わりに、消毒用エタノールを一升飲む。アル中ではない。アルコールの方が僕を求めているのだ。自意識過剰かもしれない(自意識が過剰ってなんだ? 誰が自意識の丁度いいラインを決めているのだろう。それは株価の上がり下がりみたいで、一定のものではないのかもしれない)。

煙草を吸うとまたヤニが付く。ヤニのおかげで僕の顔は真っ黒だ。恥じてはいない。気に入っているのだ。白いシャツを着ると顔がよく目立つ。

午前3時の空気を吸い込むと、大人になった気分だ。午前3時の空気は体に悪そうな味がする。僕はまだ大人になっていない。大人になるっていうのは恥を知ることだ。僕は恥を知っているが、恥が大好き。大人は恥が嫌いだ。それで僕は大人と煙草と午前3時とアルコールとカティサークの瓶が嫌いで大好きだ。僕は嘘つきではない。それでも一つだけ嘘をついた。



続く

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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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