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「公園で、サキソフォンを吹く」音楽家ナオヤ・タカクワによる日常の批評的分析〜第十三回



天気がいい。良すぎるくらいだ。今日は木曜日だ。火曜日と水曜日は雨だった。雨あがりに太陽が顔をチラ見せしにくる時が一番いい天気なのだ。旅行帰りの弟の顔を見た時みたいに、久しぶりって感じがしてなんだか無性に嬉しくなる。普段は顔も見たくないって時もあるってのに。だからソプラノを片手に持ち、公園へ向かう。この辺りで一番大きな公園だ。公園というより、もはや小山である。

公園はいつでも平和だ。コロナウイルスが変異株となり、地球上の全ての空気の中にそれらが入り混じっていたとしても。公園の空気はいつだってクリーンだ。公園は公園たるために存在している。それは都会に行くほどより一層公園たるものになる。

田舎にいた頃、公園はほとんど価値を持たなかった。広場や空き地ならいくらでもあった。ぼくは神社の前で遊ぶことができたし、道路の真ん中でローラースケート・シューズを履いて乗り回すことができたし、円筒型のコンクリートが横に倒れているものがいくらでも秘密基地になった。学校帰りに草むらでキャンプをした。小便がしたくなったら、草むらの一部をトイレにし、印に石をおいた。もちろん水も流れなければ、穴も掘っていなかった。我々が放出した液体は(さすがに固体は出さなかった)草の根にかけられ、土に吸いこまれていった。段ボールさえあればテントになったし、我々はそのリゾート地でのんびり寛いで穏やかな太陽を見上げるだけでよかった。

都会では、道路の真ん中でローラースケートをしていれば車に轢かれてしまうし、円筒型のコンクリートだって転がっていない。寝転ぶ草むらもその辺にはない。ぼくらは何もない空間を求めて公園に向かう。公園にはできるだけ何もない方がいい。遊具が必要とされているわけではないのだ。公園に必要なのはある種の「無」であり、ぼくらはあくまでも「無」を求めて公園に向かう。

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ほとんど全ての人がマスクをつけている。真昼間にもかかわらず息苦しい光景だ。唯一、女性ランナーだけがマスクをつけていなかった。サックスを吹く場所を探して歩き回っていると、そのランナーと五回もすれ違った。彼女は健康な肉体にはウイルスがよりつくはずがないと思っているようだった。

彼女はマスクの代わりにサングラスをつけていた。それで少なくとも、目から入ってくるウイルスを防ぐことはできるわけだ。そういう意味で言うと、他のマスク装着者たちと五分五分かもしれない。それでも彼女の呼気に含まれる、さまざまなウイルスや細菌、昼に食べた餃子の砕けた破片は一呼吸ごとに空中に分散した。ぼくは彼女が放出した餃子の破片を大きく吸い込んだ。それは鼻腔をニラの匂いで充満させた。

マスクを日常的に装着していることで、逆に、さまざまな匂いに敏感になる。まるで悪しき匂いがウイルスのサインであるかのように。ウイルスが「匂い」を持つはずなどないのに、だ。それはもちろんマスクの内部にある自身の口の匂いもそうである。ぼくは最近、ドラッグストアに売っている中で一番効果の強いマウスウォッシュを購入した。コンビニへ行く時でさえ、マウスウォッシュをする。誰にも会う予定のない日曜日ですらマウスウォッシュをする。どちらにしろ、長年の不精により半液体化し茶けたぼくの歯には何の効果もないかもしれないのだが。

マウスウォッシュをすると、口の中がチクチクとして、その液体の持つミント以外の味がしなくなる。それは極めて、コロナウイルスの症状に似ている。ぼくは一瞬自分がウイルス感染したかと勘ぐってしまったぐらいだ。もしかしたらそうかもしれないのだが。

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誰もいない場所を見つけて、マスクを外し、リードを舐めた。真新しい芦の味がする。そしてそれをマウスピース取り付け、パラパラパラと音階を練習し始めた。公園でサックスの練習を始めるのは緊張の瞬間だ。他にも人がいる。ぼくの知らない人たちが。たくさん。彼らは静寂を求めて公園に来ている。ぼくはこれからその邪魔をしようと言うわけだ。

音階を下から上へ、上から下へと吹いていると、なぜだか人々が集まってくる。彼らはぼくに気を留めていないような顔をしていて、偶然ここに来てしまったんだと言うような顔をしている。ぼくに何かを期待しているわけじゃない。ただ本能的に集まってしまったのだと、直感する。その光景は電球に群がる夏の虫たちや、人差し指に留ると必ずその先端まで歩いてから飛び立つてんとう虫を思わせた。

音楽の鳴っている場所に無意識に引き寄せられると言う性質は人類に共通するものなのかもしれない。音楽の鳴る場所は祭りの合図だからだ。それに世界中どこにでも儀式や祭りはある。音楽の本質を一瞬掴んだような気がした。でもそれはぼくの手からするすると抜けてどこかへ飛んで行った。サックスを片付けていると周りには誰もいなくなっていた。沈黙。静寂。寂しさ。ぼくが生きてきた二十八年あまりの人生をそのままホームビデオにしてテレビに映してみたなら、画面の中に存在している全てのものは、この三つに集約される。沈黙。静寂。寂しさ。


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執筆者:Naoya Takakuwa / ナオヤ・タカクワ

1992年生まれ、石川県出身。東京を拠点に活動するミュージシャン、作曲家。前身バンド、 Batman Winksとしての活動を経て、2017年、 ソロ名義での活動を開始。2018年にアルバムLP『Prologue』をde.ta.ri.o.ra.tionより発表。現在は即興演奏を中心に活動中。2019年には葛飾北斎からインスパイアされた即興ジャズ7曲入りCDーR『印象 / Impression』付きの書籍『バナナ・コーストで何が釣れるか』がDeterio Liberより刊行された。

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